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2024年 4月19日 :
南大阪法律事務所 弁護士:松尾 直嗣

ひとむかし前の天王寺

通天閣眼下(南西方面)昭和四十三年

【通天閣眼下(南西方面)昭和四十三年頃:ストックフォト】

 ひとむかし前というのは、昭和30年代、40年代のこと。この頃私は、堺市の大阪刑務所の前に住んでいたので、一番最寄りの駅はJR阪和線の堺市駅(当時は国鉄・金岡駅と呼ばれていました)。だから、休みの日などに、両親に連れられて天王寺に出て遊ぶのが、楽しみのひとつでした。その頃よく行ったのは近鉄百貨店。小さな子どもの目には、当時の百貨店は煌びやかで、欲しいものがいっぱいあり、心ウキウキするところでした。屋上には、子ども用の自動車があり、私はここに行くといつも「乗る~」と駄々をこね、「これに乗るんやったら、おもちゃは無しやで」という親の声は聞き流し、粘りに粘って、自動車には乗り、おもちゃもゲットしていました。

阪堺線天下茶屋駅あたり昭和四十一年頃

【阪堺線天下茶屋駅あたり 昭和四十一年頃:ストックフォト】

そして、天王寺に行くといつも見ていたのが電車。天王寺駅にはたくさんの路線が通っていたので、電車がくねくねと曲がりながら、次から次へと駅に入ってくる光景を飽きずに見ていました。そういえば、その頃はまだ蒸気機関車が天王寺駅を走っていました。走っていたのは今のJR大和路線。当時はこの線は関西本線と呼ばれ、確か、名古屋から奈良を通り天王寺まで、新幹線を走らせようと意気込んでいた時代でした。

天王寺動物園に戦後初めてのゾウ昭和 二十九年頃

【天王寺動物園に戦後初めてのゾウ 昭和二十九年頃:ストックフォト】

 さて当時、もうひとつよく行ったのが、天王寺動物園。象の春子が元気だったころで、私は象も好きだったが、一番のお気に入りは虎。百獣の王と言われたライオンはいつも寝ていたが、虎は狭い檻の中を獰猛な顔をこちらに向けながら歩く姿がかっこよく、私が寅年ということもあってか、すっかりファンになってしまった。天王寺公園も、今は「てんしば」などができてキレイになったが、当時は、裸で大声で歌う人も多く、子ども心にもちょっと怖い雰囲気でした。

 怖いといえば、確か旭通といったと思うが、今のあべのキューズモールの北端あたりを阿倍野から山王へ向かう細い道があった。私は、大学生の頃、松虫中学の先生をしていた従兄の紹介で、山王に住む中学生の家庭教師をしており、ここに行くのにこの道を通っていたのです。

何が怖かったかというと、山王の近くには有名な飛田新地があるのだが、その細い道にはいわゆる青線の店が並んでおり、私は通るたびに、声をかけられ、時には店に引っ張り込まれそうにもなった。それなら、違う道を行けばいいいのだが、多分そういう人たち(今ならマイノリティと言われる人たち)の生きざまに関心を持っていたんだろう。何度か通るうちに顔見知りもでき、一言二言喋ったりしたのも、懐かしい思い出です。

天王寺公園てんしばから見たあべのハルカス

 こんな天王寺も、駅前再開発で長年揉め、裁判(私の知り合いの弁護士が担当してました)まであったので、どうなることかと心配していたが、あべのキューズモールができ、あべのハルカスまで建ったので、すっかり賑やかになってしまった。大阪の南の玄関口であり、人は相変わらず多いが、どこか垢抜けしないところもある天王寺。私はそんな天王寺が大好きです。

南大阪法律事務所 弁護士:松尾 直嗣